強迫性障害で電車に乗ることが怖くなくなった

週末は母の日なので実家に帰りました。

電車に揺られながら、電車に乗るのはひさしぶりだなと思いました。なんてことはない、前回、実家に帰ったお正月ぶりでした。

恋人といるときは車移動、仕事での外出も無くなり、友達とは会っていない。実家に行くくらいしか電車で外出しないなんて、ちょっと引きこもりすぎな気がします。

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電車に乗るときは汚い目に合わないか緊張していた

強迫性障害がひどいころは、電車に乗るときはいつも緊張していました。

汚れている人に隣に座られたり、床に荷物を置く人が気になったり、靴のまま座席シートに乗る子供を気にしたり、とにかく何かしら不安なできごとがあるからです。

今回もひさしぶりなので緊張はしていたのですが、だいぶ楽な気持ちでいられました。

なんて言うのでしょう、強迫の種を自分から探しに行かないというか。気にしようと思えば気になることはあるのだけれど、いちいちそちらに注目しなかったです。

思えば強迫性障害まっただ中のときは、不安になる場面が来るんじゃないか?と恐れるあまり、自分から手ごろな不安を探しにいっていたように思います。

いつ来るかわからないほうが怖いから、先に不安になってしまえ!というような。

今は強迫観念に襲われる回数が減ったので、無いなら無いで結構ですよ、平和が一番!と構えていられるようになりました。

電車の座席シートが濡れているような気がしていた

強迫性障害がひどいころに辛かったのは、電車の座席シートが濡れているように思えたことです。

そもそも不潔恐怖の人の中には座席に座らない人もいるでしょうが、私は座れはしたんですよ。

が、背もたれも座席もひやりとしたような気がして、もしかしたら誰かがおしっこを漏らして濡れているのではないか?という不安が襲ってきました。

そんなことを考えるなら座らなければいいじゃないかと思われるかもしれませんが、そのときはすでに曝露反応妨害法をしていたので。

そんなはずはない、これは強迫性障害が思わせている錯覚なんだと必死で抵抗して座り続けました。

去年の夏に実家に行ったときにも、その強迫観念が起こりました。

家族に強迫性障害だということは話していないので、何気ない風を装って母に「電車のシートが濡れてる気がしたんだよ。前の人の汗かな?」なんて話して、「暑いものねえ」なんて答えをもらって。

こっそりと巻き込みをして、気持ちを落ち着けたことを覚えています。

私は尿が怖いので、この「ひやりとする」「濡れている気がする」という錯覚が多いのです。これは今でも、家の中でも起こります。

今回はその錯覚が起こらなくてほっとしました。

以前のはやっぱり錯覚だったのかな、それとも夏だからやっぱり汗だったのかな?

 

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