底つき体験で「死にたい」から「治したい」になった

強迫性障害の本を読んで治療法を調べていると、薬物療法以外では「強迫行為をやめる」しかないというところに行きつきます。

その「強迫行為をやめる」にはどうしたらいいの?というのが、難しいところなのですが。「強迫性障害を治したい」という治療意欲をふくらませるしかないのかなと思います。

治療意欲を出すにはどうすればいいのか?治療意欲を引き出すことを「動機付け」と言います。

私が強迫性障害を治す気になった動機は、けっして明るく前向きなものではありませんでした。

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知らずに「底つき体験」をしていた

強迫性障害の悪化時に、仕事を休んで横になって過ごしていました。一日中強迫行為に追われ、とにかく辛くて具合が悪いので1か月くらい休もうと思ったのです。

うつ病の治療は休息だと言います。強迫性障害も似たようなもので、休めば良くなるだろうという誤解をしていました。(強迫性障害は休息や自然経過では治らないそうです)

ところが、休んでいても具合は悪くなるばかり…。ろくな食事もせずにただただ横になっているせいで、体重も体力も落ちていきました。頭の中は強迫観念でいっぱいです。

このままでは生きている意味がない。

そう考えた時に、真剣に死ぬことを検討しはじめました。私は自殺なんてしないと思っていたので、そんなことを考えた自分に驚きましたし、ショックでした。

しかし、その考えはどんどん具体的になってふくらんでいきました。ベッドに横たわっていても、部屋のカーテンレールやドアノブを見て具体的な想像をするようになりました。

ふくらんでふくらんで大きくなって。最終的に、じゃあ実行するのか?と自分に突きつけたときに、いろんな感情が浮かびました。

死ぬのが怖い。家族や恋人を悲しませたくない。悔しい。

強迫性障害で死ぬなんて悔しい…。

そう、私は悔しくなったのです。突然わけもわからずに強迫性障害になって、みるみるうちに具合が悪くなって、死を考えるまでに追い込まれたことが。

死ぬ前に強迫性障害を治してみようと思った

本当にこのまま死んでいいの?

死ぬくらいなら、強迫性障害を治せないか試してみよう。強迫行為をやめるのもすごく怖いけれど、ここまで落ちたらどうなってもいいじゃないか。いまより最悪な状態なんてない。あったとしても別にいい!

そう考えて、強迫性障害を治す=強迫行為をやめる決心をしました。

「死ぬ気になれば何でもできる」。そんな風にガラリと気持ちを切り替えられたわけではありません。

「生きたい」という前向きな気持ちではなく、「生きるしかできない」と思い知らされて、ちびちびと最低限できることから行動を変えていった…そんな情けない私なのです。

あとから知ったのですが、私のこの精神状態が最悪になり最終的に治療意欲が出るのは「底つき体験」と言うそうです。

「底つき体験」は、以前はアルコールや薬物など依存症の治療過程に必要と言われていましたが、危険が大きいので、最近では「動機付け面接」で治療意欲を引き出す形がとられています。

単純に具合が悪いから寝ていようという発想だったのですが、良くなかったんですね。いえ、結果的には治療をする気になれたので、良かったのでしょうか?

あのとき、私はたしかに死の淵をのぞき込んでいました。

その事実さえも怖くて、いままで書けませんでした。

でも、強迫性障害を治す決意をできていなかったころ、どうすれば治す気になれるのか?強迫行為をやめる勇気を持てるのか?というのが一番知りたいことだったので、思い切って自分の体験を書いてみました。

人には失うことを大きく感じる「損失回避性」がある

人には得ることよりも、失うことを大きく感じる「損失回避性」があるそうです。

損失回避性とは、利益から得られる満足より同額の損失から得られる苦痛の方が大きいことから、損失を利益より大きく評価する人間心理のことをいう。(損失回避性とは – コトバンクより)

強迫性障害が治ったら楽しいよ!だとなかなか治療をする気になれず、強迫性障害のままだとひどいことになるよ!というほうがやる気になれるということですね。

私の動機付けになった損失は、大きく言えば自分の命であり人生でした。細かく言えば、生きるためには仕事も失うわけにはいきませんでした。

仕事を休むのは1か月が限界でした。つまり、生きるか死ぬかの決断も、さっさとしなければなりません。

最悪の場合は仕事を失っても仕方がないと考えてはいましたが、そうなると這い上がるのがもっと難しくなります。

仕事を失い貯金が尽きて一人暮らしができなくなったら、実家に帰らなければなりません。帰ったところでそのうち治るなどという楽観も持てず、暗い未来しか考えられませんでした。

両親はすでに退職しています。やっと子育てや仕事から解放されて慎ましくも穏やかな生活をしているのに、精神障害を抱えて面倒を見なくてはならない娘として帰るなんてできません。

強迫性障害でボロボロの状態で家族と一緒に暮らすのは、あちこちに気を遣うことになり大変すぎて無理!!というのも大きかったです。

強迫行為をやめていくうちに治りたい気持ちも強くなった

生きることを決めて体調を整え、強迫行為を減らしていくにつれて、治したい気持ちはどんどん強くなっていきました。

海でおぼれて口だけを水面に出してパクパクしていたのが、手を動かして泳げるようになり、陸をめざしだすような感じでした。

生きるしかできない。生きるなら強迫性障害ではいたくない。強迫性障害を治して楽しく生きたい。それには強迫性障害を治さなければならない。強迫性障害を治すには強迫行為をやめなければならない。

生きるしかできないと思い知らされたことが、強迫性障害を治す動機になりました。

動機は誰かから与えられるものではなく、自然に思えるようになるものでもなく、自分の心の奥底を見つめて出てきたものでした。

強迫性障害の複数の人から「どうして曝露反応妨害法をやる気になれたのか?」と訊かれたことがあるのですが。

私にとっては、強迫性障害を治すというのは強迫行為をやめることと同じであり、現状では自分には曝露反応妨害法が最適だと思っているからなのです。

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