トイレ後の手洗いを短くする 7。曝露反応妨害法の水抜きが怖くてできた

不潔恐怖症の認知行動療法である「曝露反応妨害法」では、一定の期間、手洗いや入浴など水に触ることを一切禁止する「水抜き」をするのだとわかりました。

「水抜き」の間は、大便をしても手を洗ってはいけないそうです。

怖い、怖いよー。

しかし、治らなかったらこの治療を受けなければいけないと思うと、いま石鹸や水を使って手洗いをしていることが、とても幸せで恵まれているように感じます。

「水抜き」までする勇気は出ないけれど、「水抜き」の簡単バージョンだと思って、トイレ後の手洗いを短くして、認知行動療法をやるのはどうだろう?腕も爪の中も洗わないで、治ってからもこのくらいは洗うという手洗いにしてみては。

曝露反応妨害法を始めるとともにやるのは大変そうなので、まずは手洗いだけを短くすることにしました。トイレ小のときに2回洗っているのを、1回にします。トイレ大のときは無理です…。

 

最初に手洗いを1回にしたのは、先週の木曜日です。

病前の自分の手洗いを思い出して、手早く洗います。台所で腕を洗わずに、お風呂場の手洗器だけで済ませました。手洗器も、1回ぐるっと流すだけで済ませました。

爪チェックもしていません。手首は、ちょっと丁寧に流してしまったかな。

タオルで拭くときや、そのあと食器を触るときに抵抗がありましたが、手を洗えないよりましだから、と我慢しました。

 

強かったのが、手首をちゃんと流せていないという気持ち悪さです。石鹸の成分が残っていて、手首が赤くなるのではないかと心配しました。でももちろん、そんなことは起こりませんでした。

これがよかったのかもしれません。

いままで気にしていた手首が、ちゃんと流せていた。だったら、手も流せている。手をこするのは、数えながらやっているので問題ない。

 

もうひとつのハードルは、爪チェックです。見たくてたまりませんでしたし、汚れが残っている気がしましたが、「洗えた」とも「綺麗だ」とも思わず、ただただ無視して、考えないようにして過ごしました。曝露反応妨害法では、逆に「まだ汚れが残っている」「汚い」と思うくらいの方がいいのでしょうが、そこまではできませんでした。

考えてしまったときには、もしも爪の中に汚れが残っていたとしても、皮膚と同じだ。皮膚をはがしてまで洗うことはできない。それと同じなんだ。そう思うようにしました。

手洗いを短くするのは、これまでにもさんざん踏んだステップです。手洗い直後の強迫観念をやり過ごせば、徐々に不安が下がっていくことは体験していたので、思ったよりも楽にできました。

やる前は、2回を1回にするというのは、かなり難しいように感じたんですけれどね。

というのも、私は強迫性障害が治ってからも、手洗い2回は続ける気でいたのです。

でも、水抜きと比べると、手洗い2回は洗いすぎなので、とりあえず曝露反応妨害法をする間は1回にしようと思いました。

 

金曜日は、もっと楽にできました。土曜日は、もっともっと楽にできました。

日曜日、恋人の家でも、できました。私は彼の家では、彼にトイレの汚れをつけてしまうことが怖くて、自宅よりも丁寧に手洗いをしてしまいます。洗面台は丁寧に流してしまいましたが、手洗い自体は家と同じくらいで済ませられました。

月曜日はもう、とりたてて我慢して1回に抑えているという感覚はありませんでした。

と言っても、まだ長めの1回です。普通の人から見れば、潔癖症だと思われる程度には、時間がかかっています。

 

あと、手洗いのあとの行動によっては引っかかりを感じることはありました。例えば、直後に食べ物や化粧品などに触るのは、抵抗があるのです。

そういう抵抗を取るために、曝露反応妨害法では、汚れた手であちこちに触り、綺麗と汚いの境界をなくすのだなと、実感できました。

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