トイレットペーパーの袋に驚く。まだ汚いと思ってしまう

先々週末、恋人の家でお昼ごはんを作っていたときのことです。

彼がキッチンに入ってきて、すぐに出て行きました。私は料理をしていたので、後ろを向いていました。

目玉焼きを焼きつつ振り返ると、床にトイレットペーパーの空袋が置かれている!

キッチンの反対側の壁際をゴミ置き場にしているのですが、なぜかトイレットペーパーの袋はゴミ袋に入れられずに床にあったのです。さっき、彼が置いたのでしょう。

彼の家のトイレットペーパーの袋はトイレに置いてあり、用を足している途中の手で触るものなので汚いと思っています。ちなみに、自分の家ではトイレットペーパーの袋は部屋の収納にしまっていて、トイレットペーパーだけをトイレに置いているので汚くありません。

反射的に悲鳴をあげて、手に持っていたフライパンの蓋を目玉焼きの上に落とし、目玉焼きの黄身を1個つぶしてしまいました。我ながら、漫画みたいな驚きかたでした(笑)

 

彼が「どうしたの!?」とやって来たので、「トイレットペーパーの袋が…(汚いと言えない)、なんでここに置いたの?」と言いました。彼は私が汚いと思っていることを察知したようで、「なんだ、これくらい」と言いながらゴミ袋に入れてくれました。

トイレットペーパーの袋が置かれていた床が汚く感じます。しかし、もうお昼ごはんができるところなので、床を拭いている時間がありません。そもそも、彼はトイレットペーパーの袋を汚くないと思って置いたのだから、床を拭くわけにはいきません。

汚染された床を踏まないようにして料理を仕上げて、お昼ごはんを食べました。でも、頭の中は恐怖と、床を拭くか拭かないかでいっぱいです。

拭きたい。拭いちゃいけない。拭きたい。拭くのは面倒くさい。拭きたい。

頭の中がぐるぐるして疲れたので、ごはんを食べ終わってから布団に入りました。涙がボロボロと出てきました。

 

なぜ、たかがトイレットペーパーの袋に、こんなにも恐怖を感じるのだろう?

なぜ、恋人がいるのに、助けを求めることができないのだろう?

 

そう、私は治りたいのです。治りたいから、床を拭きたくないし、彼を巻き込みたくもない。けれども、恐怖は感じる。それがつらいです。

彼に助けて欲しくても、何をして欲しいかというと、何も求められない。彼が汚いと思っていないなら、袋を置かないでとは言えない。「汚くないよ」と言ってもらって安心することも、強迫には良くないので頼めない。

何もできないまま、してもらえないまま、ただ一人で葛藤しているしかない。

彼は、私が強迫性障害だということは受け止めてくれています。でも、たぶん理解はしていません。

よくわからないけれど大変そうだ、辛いなら無理しなくていい、手を洗いたければ好きなだけ洗えばいいという感じです。このときも、私が説明をしたら、床を拭きたければ拭けばいいと言いました。

でも、私が拭きたくない。治りたいから。巻き込みたくないから。結局、私も彼もできることは何もないのです。

行動療法的には、トイレットペーパーの袋に触ったり、袋をそこら中にこすりつけたりしたほうがいいのでしょうね。無理ですけれど。

30分くらい布団の中で泣いて、気持ちを落ち着かせました。その日はトイレットペーパーの袋が置いてあったところは大きく避けてとおりました。

 

そして、先週末。汚れた床を思うと、彼の家に行くのも気が重かったです。最初は、やはり汚れた床を避けていました。

が、夜には忘れて、普通にとおっていました。普通に歩いていればとおる場所ではないので、踏んではいないと思いますが、半分忘れたというか、意識して避けることはなくなっていました。

どうせ私がいない間に彼が汚れを広げているだろうし、考えると汚い気がするけれど、もういいやという感じです。

時間がたてば、恐怖は下がるんですよね。だったら最初から、あんなに怖がらずにすめばいいのにと思います。

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