東日本大震災のときの強迫性障害的な行動

いまさらですが、3.11…東日本大震災を振り返って思い出したことがあります。

当時、私はまだ強迫性障害ではありませんでした。

関東在住なので、たび重なる地震や計画停電、物流ストップなどを経験しました。もちろん被災地の方々に比べたらなんてことはないのですが、それでも日々の暮らしの中で不安が大きくなっていました。

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東日本大震災のときの強迫性障害的な行動

3.11の翌日、翌々日だったかな?

電気もガスもいつ止まるかわからない中で、スーパーの棚からも物がなくなり、不安でいっぱいだったころ。Twitterで、おにぎりを作っておいたほうがいいよ!と流れていました。

週末で彼の家にいた私は、なるほど!と思っておにぎりを握ったんですよね。

で、彼におにぎりを出したところ…「おにぎりにする必要ないんじゃない?」と言われたんですよ(笑)「俺べつに、ごはんをそのまま食べるだけでいいよ」と。

たしかにそうなんですよね。お子様のいる家庭では、ごはんをそのまま食べろというと、食べづらかったりなんだりするかもしれませんが、私たち二人はいい大人なんだし。

おかずがなくてごはんだけなら、そのまま茶碗によそって食べても良かったんです。

不安により強迫行為をしてしまう仕組み

私はあのとき不安で不安で、いてもたってもいられませんでした。

なので、「おにぎりを作ろう!」という提案に飛びついたんです。何か「やるべきこと」が欲しかったから。

強迫性障害を知ったいま、あれは強迫行為だったなと思います。不安=強迫観念があり、それをまぎらわすために強迫行為を求めていたのですよね。

で、逆に、強迫行為をする理由が欲しくて不安=強迫観念を生み出すこともあるのではないかと思うんですよ。強迫行為というか「やるべきこと」が欲しいというか。

ストレスを感じていて、本来のやるべきことが上手くできないのでほかの「やるべきこと」を求めたり。漠然とした不安の中で、何かやらなくてはと思って「やるべきこと」を求めたり。

自分から進んで不安なことを探しているようにも感じるときがあります。で、ほらあったー!って強迫行為をしているという…。

こうなってくると、強迫観念が先か強迫行為が先かわかりません。どちらが先でも、そのスパイラルを断ち切るのは、強迫行為をやめることしかないのですけれど。

 

東日本大震災を振り返ると、それなりに大変でした。

にもかかわらず、私はあの時に戻れるなら戻りたいと思ってしまうのです。あの時はまだ、強迫性障害を発症していなかったという、ただそれだけの理由で。

 

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