昨夜、ひさしぶりに大きめの強迫観念に負けました。このところけっこう調子がいいので、見過ごせるかもしれないと思いましたが、無理でした。
トイレで用をたそうと便器に腰をおろしたときに、トイレットペーパーホルダーにTシャツの袖が触った気がしたんです。本当に触ったのかは、わかりません。というのも、強迫性障害になる前はもちろん、なってからもそんな経験はないんです。
肘から先の腕や洋服の裾は触ったことがありますが、袖というのは初めてです。
トイレットペーパーホルダーは用をたしている途中で触るものなので、汚いという感覚が強い。トイレの壁や便器に触るのは見過ごせるようになったけれど、ホルダーか…うーん。
用をたしている途中で触っていると言っても、手は便や尿などの排泄物に直接触っているわけではありません。トイレットペーパー越しです。
しかし、それを言ったらトイレ後の手洗いも必要ないはずで、石鹸を使って丁寧に手洗いしていることと矛盾します。
袖のあたりが汚れた感覚でもやもやします。この感覚を抱えたまま、ベッドに入って寝られるのか?いや、それ以前に、すでに気になって仕方がありません。
最初は袖のあたりだけだったもやもやが、どんどん広がっていきます。そしてなぜか、汚れていないはずの手で何かに触ることもできなくなります。
あーーー、ひさしぶりに来た、この感覚!
私はなにか汚い思いをすると、触れていないところまで汚れに包まれたような気持ちになってしまうのです。
強い汚れの感覚で、無視できませんでしたね。時間もなかったので、さっと着替えてしまいました。
着替えてからも、なんだか気持ち悪い。実は服の袖だけでなく、肌にも触ったのではないか?そんな思いがぬぐいきれず、シャワーで二の腕を洗ってしまいました。
ところが、洗う前から危惧していたものの、二の腕を洗うとあっちこっちに水はねが飛び散るんですよ。顔にもしっかりと水しぶきがかかり、余計に汚れを広げた気分になりました。そしてそこで、もういいやーと諦めました。
そもそも、肌には絶対に触っていなかった!
それに、迷っている時点で、着替えたり洗ったりは必要がないはずなんです。あきらかに汚れたら、迷わずに着替えるのですから。でも、最中にはなかなか信じられないのです…。
そもそも、本当にトイレットペーパーホルダーに触ったのだろうか?40年以上生きてきて、ホルダーに触ったなんていう理由で洋服を着替えたことがあった?
ううん、ない。ないのに、なぜ今は、絶対に着替えなければならないような気持ちになってしまうのだろう。
不潔恐怖症になってからも、服の袖がホルダーに触ったという記憶はありません。便器とホルダーの位置的に、触るとも思えないんですよね。
便器に座ってシミュレーションをしてみようかとも思いましたが、また服を汚したらめんどくさいのでやめました。
結局、二の腕を無理に洗ったせいで汚れが余計に広がった気がして、ベッドに入るときにも抵抗がありました。でも今からシャワーを浴びるなんて無理だし、寝たいし、曝露曝露!と思い、二の腕を触り、その手で顔やまくらにも触り、汚れを広げて眠りました。
朝起きたら、やはり少し緊張しつつ寝たようで、疲れが残っていました。汚いという感覚は薄れていたのでよかったです。