不潔恐怖症を治すには汚いままで生きていくしかない

強迫性障害を治すには、安心を求めてはいけないといいます。認知行動療法をはじめたころは、その意味がわかりませんでしたが、今ではそのとおりだと思えるようになりました。

広告

綺麗・汚くない・大丈夫と考えていると本当の安心は得られない

不潔恐怖症(潔癖症)の悪化時には、汚いという感覚はどうやって治るのだろうと思っていました。汚くないと思えるようになるのか、汚いけれどこのくらいなら大丈夫だと思えるようになるのか…。

認知行動療法の曝露反応妨害法では「綺麗」「汚くない」「大丈夫」という安心を得るのは、不安を打ち消すための行為なので良くないそうです。

でも、強迫行為を減らす理由にしたり、認知行動療法に踏み出すきっかけとしては、悪いばかりではないと思います。

というのも、私自身が自分を安心させることで、強迫行為を減らしていったからです。このブログにも、たくさん書いていました。

強迫性障害を治すには、強迫行為を減らすことが大事。でも、怖くて減らせない、勇気が出ない。そんなときには、強迫行為を減らしても大丈夫だという安心が欲しいものです。

やり続けていた強迫行為を、なんの理由もなくやめるのは難しいです。自分の中では、意味のある重要な行動なのですから。

しかし、安心する方法では、治療が行き詰まるというのも実感しました。綺麗・汚いの判断は、し続けていたからです。いくら大丈夫だと思っても、本当に大丈夫かな?という不安が消えません。

もう綺麗か・汚いかを考えたくない。何も考えずに暮らしたい。そう思うようになりました。

綺麗か・汚いかを考えたくないので強迫観念を無視した

次に選んだのは、考えるのをやめて強迫観念を無視することでした。思考停止です。

例えば手洗いの時間を減らすとき。減らした直後は不安でたまらなく、手洗いしたあとも汚れている感覚に襲われます。

そういうときは、ひたすら考えないようにしていました。手が綺麗になったかどうかは考えない。自分が決めたとおりに洗い、終わったら手について考えるのをやめる。

何も考えないというのはけっこう難しいので、ほかのことを考えたり・したりと、意識をそらすほうが簡単でした。手を使う作業をすると、汚れを広げられるので良いです。

それなりに効果はありましたが、どこかに不安が残っている感じがありました。また、治り方がゆるやかでした。

汚いままで生きていくと覚悟を決めたら、かなり治ってきた

強迫性障害がぐっと治ってきたのは、汚れを受け入れてからです。

強迫性障害の治療法は、認知行動療法の中の曝露反応妨害法というもので、汚れに触り、汚れを広げるということをやります。私は汚れに触るのも怖い、広げるのも怖いので、つらかったです。

でも、汚れを広げながら思ったんですよね。みんなこうしているんだ、これが世の中なんだ。自分だけが綺麗を守ろうとしても、守りきれるものではないんだと。

世の中が汚れているなら、私も一緒に汚れよう。汚いままで生きていくと覚悟を決めました。

選択肢は、強迫性障害のままで綺麗にこだわって生きていくか、強迫性障害を治して汚れながら生きていくかの、どちらかしかない。治したいなら、汚れを受け入れるしかないということに気がついたのです。

曝露反応妨害法では、積極的に「汚い」と思うことをすすめています。

なので、手洗いをしたあとも「洗えていない」「汚いままだ」と思ったり、「おしっこ(うんこ)がついた」「汚れがどんどん広がっていく」などとイメージしました。そのうち、はいはい、おしっこおしっこ、うんこうんこ、という感じになっていました(笑)

汚れた手を体にこすりつけたり、手づかみでなにか食べたり、皿洗いをしたりしました。

汚れを広げると、もう取り返しがつかないというあきらめの気持ちになり、そのうちに気にならなくなります。

強迫性障害だと、この「取り返しがつかない」というのが、すごく怖いんですよね。私も、汚れを落としきれていなくて広めてしまうのがすごく怖かったです。

そこはやはり、「汚れてもいい」「汚いままで生きていく」という覚悟が必要だと思います。

ここまでわかっていても、まだ苦手なものや回避していることが多いのですけれどね。

私が治すのに使った本。新版『図解 やさしくわかる強迫症』が出ています。

タイトルとURLをコピーしました