強迫性障害を治すには、強迫行為をやめなければいけません。しかし、強迫観念があると、なかなか強迫行為をやめることができません。
で、考えたのですが。私はまだ強迫観念を手放す覚悟ができていないのではないかと思ったのです。
いままで、強迫観念を無視したり受け流したりしようとしてきましたが、それらは強迫観念と共存しているままです。そうではなくて、自分から手放さなければならないのだと気がつきました。
強迫性障害は病気だから強迫観念を手放す
私は自分が強迫性障害という病気だと自覚しています。強迫性障害が脳の誤作動を起こし、汚いと思わなくてよいものまで汚いと錯覚させていることも理解しています。
それなのに、いざ強迫行為をやめようとすると「これは本当に汚い」という考えが浮かびます。強迫観念に支配されています。
このブログの注意書きにも、わざわざ「病気中の正常ではない個人の価値観」と書いているくせに、その正常ではない価値観を大切なもののように抱きしめたまま立ちつくしているのです。
本当に大切なものはなにか。私は自分の幸せな人生を大切にしたい。そこには強迫性障害が入る余地はない。
そのためには、絶賛・強迫性障害中の「強迫観念が育てた価値観」は手放さなくてはなりません。
まわりの人の価値観を信じる
不潔恐怖症の場合に難しいのが、世の中に潔癖だとか綺麗好きな人たちが存在して、特にインターネット上では多数派に見えてしまうことです。
しかし、綺麗へのこだわりをネット上で披露している時点で、その人たちは普通よりも綺麗好きなはずです。普通の人たちは、そもそもそんな話題に興味を持たないでしょう。
では何をお手本にすればいいかというと、私の場合は身近にいる恋人や家族です。が、ここでも強迫観念が登場して、この人たちは普通より衛生観念が低いのではないかと疑ってしまいます…。
認知行動療法の曝露反応妨害法では、普通以下の汚さに慣れさせてから普通に戻すそうです。たとえ恋人や家族の衛生観念が普通以下(失礼)でも、治すためにはちょうどいいくらいの気持ちで受けとめたいです。
強迫観念が自然と消える可能性は低い
強迫性障害になってから、強迫観念が消えてなくなることを願わない日はありません。
でも、いい加減気がついたんですよね。薬も飲んでいない状態で、強迫観念が自然に弱くなることはないということに。もしかしたらあり得るのかもしれませんが、残念ながら私の身には起こらないみたいです。
強迫観念が弱くなったら強迫行為をやめようというのは、無理な相談だということがわかりました。
なんかねー、強迫性障害さんも融通をきかせてくれればいいのに、そんなに親切ではないみたいです。知ってたけれど!(笑)
強迫観念があっても強迫行為を先にやめる
強迫観念は、自分で「思い浮かべるのをやめよう」とコントロールすることはできませんでした。自然に弱まることもありませんでした。
強迫観念と強迫行為。強迫観念が先なのだから強迫観念から治そうと考えてしまいますが、私がコントロールできるのは強迫行為だけです。
どんなに怖くても、強迫行為をやめない限りは強迫観念もなくならない。
逆に、強迫行為をやめれば強迫観念は弱くなっていく。それは認知行動療法をやってみて経験しました。
結局は強迫行為をやめるしかないという話なのですが。やめるための思い切りをどうするかという点で、強迫観念を手放す覚悟は必要だと思いました。