強迫性障害の病名は不安増大障害とか恐怖肥大障害にしてほしい

産経ニュースに強迫性障害の記事が出ていました。
強迫性障害、心配なら受診を つり革握れない、カラオケマイク触れない…

こうして取りあげられることにより、強迫性障害の認知度があがるのは、ありがたいです。

一方、強迫性障害ではない人に理解してもらうために、「誰にでも起こりうる」「わかりやすい例」があげられていることで、この病気の怖さが理解しにくいのではないかと思います。

つり革やカラオケマイクが汚いというのは、わりと多くの人が「そうかもね」と思えるのではないでしょうか。

強迫性障害が説明されるときに、比較対象にされるのが潔癖症。強迫性障害が、「潔癖症が度を超えて日常生活に支障をきたす」ものだというのは、わかりやすい説明です。が、しょせん潔癖症の延長なんでしょう?好きでやっているんでしょう?と思われる心配もあります。

強迫性障害の病名は、不安増大障害とか恐怖肥大障害とか、病状がわかりやすいものにしてほしいです。

 

私は強迫性障害の専門家ではなく患者なので、この先に書くことはただの私個人の体験ですが。

強迫性障害の不潔恐怖症は、清潔や不潔の判断を自分でコントロールできるものではありません。不安や嫌悪や恐怖の感情が大きくなり、妄想に近いほどの「万が一の汚染」の想像に支配され、がんじがらめになります。

私は不潔恐怖症がひどかったときは、新品の物にも触れませんでした。トイレに関する汚れが怖いので、トイレ後に手洗いをしていない人が製造や流通の過程で触っているかもしれないと思うと、触れなかったのです。

強迫性障害は、トイレの汚れ→人の手→物と、間接でも汚れが薄まるとは思えず、そのまま移るように思います。なので、トイレに対してと物に対しての嫌悪度の差が、少ししかない。私は少し違いがある分まだましで、中にはまったくない人もいるのではないでしょうか。

触れる物は、自分が納得のいく形で洗ったり拭いたりといった「洗浄」をしたものだけでした。あるいは、触ったあとで自分の手を洗浄しました。

 

洗浄にしても、いくら洗っても汚れが落ちたとは思えない。正しく洗えているのかわからなくなる。このあたりはもう、認知症のまだらボケみたいなものではないかと思うのです。自分で正しい判断ができなくなる。

本当に、手を洗っている端から記憶が消しゴムで消されているかのように、洗った・綺麗になったという実感が持てないのです。

強迫性障害は「わかっているけどやめられない」病気だと言います。これは、妄想がある統合失調症とくらべて、「妄想ではないとわかっている」だけです。

私の場合は、「わかっているけれどわからない」という感覚です。自分の頭がおかしくなっているとわかっているだけで、価値観はずたずたに壊れてしまっている。自分のしていることに、まったく自信が持てない。

どんな風に書けば、強迫性障害の辛さが伝わるのかわかりませんが…。

不潔恐怖症の私にとって、あらゆる壁はトイレの壁と同じで、あらゆる床はトイレの床と同じ。ほんの少しの聖域(自分が綺麗だと思っている場所)をのぞいて、世界中がトイレになったようなものでした。

もし、不潔恐怖症がどんなものか知りたいという人がいたら、トイレのあとで手を洗わずに、あるいは、汚いと思うものを触ったあとで、ほかのものに触ろうとしてみてください。スマホ、パソコン、本など洗えないものがいいです。

そのときに感じる不安や嫌悪感が、不潔恐怖症の私が感じているものです。

 

もうひとつ、産経ニュースを見て、自分も強迫性障害かも?と思った人は、ぜひ「強迫性障害を認知行動療法で治せる」病院に行くことをおすすめします。薬物療法しかできない病院だと、遠回りになる可能性があります。

しかし、産経ニュースの「治療には薬物療法と認知行動療法があり、これらで半数以上の人が日常生活を支障なく送るレベルに回復しているという」というのは驚きでしたね。

そんなに多くの人が回復しているとは嬉しいですし、心強いです。

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