電車に乗っていたら、隣に座っていた人がゴミを置いていきました。それを見ていたら強迫観念がわいてしまいました。
電車にゴミを放置した人がいた
ゴミを置いていったのは、電車で隣に座っていたおじさん。最初は何かのパンフレットかカタログのようなものを読んでいたのですよ。
そして、読み終わったパンフレットを自分のお尻の下に敷きました。
「えっ」と驚きました。私だったら置くところがなければ背中の後ろに置きます。お尻の下に置く人は珍しいなと思いました。
が、おじさんは次の駅で降りるときに、座席にパンフレットを置いたまま去っていったのです!
なるほど、ゴミとして置いていくからお尻の下に置いたんだ…。もやもやしましたが注意することもできず、おじさんは降りていきました。
電車の座席にゴミとして置かれたことで強迫観念が出た
私は昔だったら、放置されているゴミがあれば、自分が降りるついでに駅のホームに捨てるタイプでした。
ただ、いまは駅のホームにゴミ箱が無いので手を出しませんでした。さすがに赤の他人のゴミを持ち帰るほどの親切心はありません。
なので何もしなかったのですが…じわじわと気になってきました。
それは、座席にパンフレットが置かれていると、人が座れないということです!
そのときの車内は空いていたので、パンフレットがある座席を避けても席は十分に選べました。
でも、電車が混んできたら?
もし私が経緯を知らずに電車に乗ってくる側だったら、座席に置いてあるパンフレットには何か意味があると考えてしまいます。
そう、たとえば、失禁したり吐いたりしたのを隠すため。誰かが知らずに汚れの上に座ってしまわないように、パンフレットが置かれているのだろうと思うでしょう。
パンフレットを捨ててあげるか、せめて網棚に乗せたほうがみんなが困らないのではないか。経緯を知っている私がやるべきじゃないかと考え始めました。
ゴミとして置いていかれた=汚いと思う
しかし、おじさんのお尻の下に敷かれたパンフレットだという時点で、触るのに抵抗がありました。
そのうえ、思いついた「失禁したり吐いたり」というフレーズ。
実はおじさんは失禁していて、それを隠すためにパンフレットを置いていったのではないかと考えてしまいました。
そこまで考えると、汚れたかもしれない座席の隣に座っていることも気になり始めました。
いやいや、お尻の下に敷いたけれど、降りるまではパンフレットの上に座っていたのだから、失禁していたということはないはず。
おじさんのお尻はよく見ていなかったけれど、ゴミを置いていくのを非難する気持ちがあったので後姿はじっと見ていました。ベージュのチノパン、特に汚れていなかったはず。
パンフレットをちらっと見ましたが、汚れている様子はありません。でも、私は目が悪いし、表紙は写真でごちゃごちゃしているので確信が持てません。
もし隣の席が汚れていたとしていても、私までは汚れていないから大丈夫!
そんなことをごちゃごちゃと考えているうちに、降りる駅に着いたので何もせずに降りました。
おじさんがゴミを置いていったせいで、強迫観念に襲われてしまいました。
不潔恐怖症がメインですが、強迫性障害にありがちな「責任の拡大」もありますね。
おじさんが置いていったごみを、私が捨てなきゃいけない責任なんて無いんだ!!
ゴミを置いていくことも許せませんが、置いていくにしても人に迷惑がかからないように置いていって欲しいものです。