強迫観念がわいても強迫行為を我慢するようにしているのですが、最近、我慢だけになっていて良くないと思いました。
どういうことかと言いますと、強迫観念がわいても強迫行為をしないというのは、「曝露反応妨害法」という治療法なんですね。
私は専門家ではなく患者なので、これから書くことは私の考えであり、正しいかはわかりませんが。
曝露反応妨害法=我慢と思われがちですが、私は曝露反応妨害法は、我慢よりも汚れを広げることが大切だと思っています。
曝露の意味が「さらすこと」なのですから、曝露が重要で、我慢はその過程に過ぎないのでしょう。
汚いものに触り、我慢して時が過ぎるのを待ち、不安が下がってからほかのものに触るのは、消極的な曝露。
汚いものに触り、そのまま汚したくない「聖域」に触って汚れを広げるのは、積極的な曝露。
集中的に曝露反応妨害法をやったときに、汚れを広げるほうが、あきらめがついて楽になれる、効果的だと実感しました。
「攻撃は最大の防御なり」。曝露反応妨害法も、この言葉のとおりなんですよね。
しかし、日常生活の中では、どうも汚れを広げるまではいかず、なんとなく我慢をするだけで過ごしてしまいます。
わかってはいるのですが、「汚れを広げて余計に洗うことになったら面倒くさい」という思いから、避けてしまうんです…。
汚れを広げる。綺麗と汚いを分けない。これを意識していきたいです。