強迫性障害が治るにつれて治療に対する考え方が変わってきました。
いま思うと、治療意欲にも強迫観念がからんでいたのだと思います。
強迫性障害が治るとは?寛解と完治の違い
寛解/緩解(カンカイ)とは – コトバンク
病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。
寛解とは症状が継続的に軽くなった状態です。再発の可能性や症状の変化がある病気で使う言葉です。
『図解 やさしくわかる強迫性障害』では以下のように書かれています。
寛解
かなりよくなった状態。強迫観念が浮かんでも、強迫行為(儀式)をしたいという衝動は、ほとんど感じられなくなっています。Y-BOCSは、16点以下。(『図解 やさしくわかる強迫性障害』140ページより)
Y-BOCSとは強迫性障害の重症度をはかる診断テストです。私はいま11点です。
強迫性障害の検査「Y-BOCS」を利用してセルフチェックをしてみよう
完治(カンジ)とは – コトバンク
病気やけがなどが完全に治ること。
完治とは完全に治ることです。
精神疾患や精神障害では再発の可能性がまったくないと言い切ることができないので、治っても完治という言葉を使わず寛解と呼ぶことが多いです。
医師や臨床心理士など医学的な治療をされている人は、あまり「完治する」とは言いません。
強迫性障害の患者さんでは、強迫観念も強迫行為も無い状態が長期間続くと完治したと表現する人もいます。
強迫性障害は完治しないと意味がないと思っていた
強迫性障害の治療法を調べて、治っても寛解だと知ったときはショックでした。
この嫌な症状が少しでも残るなら治療する意味はない!と思ったのです。
0か100かしかない、完璧でなければ失敗とみなしてしまう白黒思考と呼ばれるものですね。
いま思うと、症状が少し残るというのを「少しだけでもあるとかなりつらい」という考えで、マイナス面を事実よりも大きくとらえていました。
寛解が良くなった状態80%・残り20%だとすると、私のイメージは残り20%もあるなら60%も同じ!という、まったく算数ができない状態でした(笑)
まあ、算数ではなく冷静な判断ができなかっただけなのですが。
ほかの患者さんを見ていても、寛解ではなく完治にこだわる傾向があります。やはり、寛解では満足できない、完治したいという気持ちがあるのでしょう。
強迫性障害は改善・寛解の先に完治がある
寛解と完治で治療法が違うわけではないのですから、完治するかどうかは寛解してから考えればよかったのです。
治療もしていないときから完治にこだわっていたのは無駄だったし、もったいなかった。治療に向き合いたくない言い訳を探していたのだと気がつきました。
もちろん、今でも完治したい気持ちはあります。
強迫性障害が完治した人のお話を聞いたときは治療の意欲がとても上がりましたし、私も完治したらいいなと願っています。
でも、治った過程を振り返ってみると、少しよくなるだけでもすごく楽になって嬉しかったし、だいぶよくなった今ではものすごーく楽で嬉しいのですよね。
まずは少しでも改善、それから寛解、その先に完治があるのだと思います。