潔癖症や不潔恐怖症は、あまり良い印象を与えないですよね。
テレビ番組などで芸能人が潔癖症ぶりを披露していることがあります。
ほかの人の反応は、変わっている、うざい、めんどくさい、友達や恋人としてつきあいたくないなど。中には、綺麗好きなのは良いという意見もありますが、たいていは否定的です。
それがわかっているので、私は自分が不潔恐怖症であることを恋人にしか話していません。
ほかの人にも手洗いや洗浄行為を強制して嫌われるならともかく、自分だけが勝手にしていても責められます。どうしてかな?と思っていたのですが、理解できるできごとがありました。
潔癖症や不潔恐怖症はマイナスの感情を出している
先日、恋人と一緒にテレビを見ていたら、昔の「貸おむつ」という商売が出てきました。
貸おむつ!なんという恐ろしいものでしょう。まず、排泄物を受け止めるおむつが恐怖なのに、それを大量に集めて洗い、貸し借りするなんて考えられません。
愕然として「こんな仕事があったなんて…」とつぶやくと、彼が「便利だったんだろうね、別に平気だよ」と言いました。そして、「いま、すごく嫌そうな顔をしたよ」と続けました。
笑うでも責めるでもなく、ただ指摘したという風でしたが、しまったと思いました。嫌な顔は、見た方も嫌な気持ちになりますよね。無意識とはいえ、彼に嫌な気持ちを移してしまいました。
私は彼に巻き込みをしないように心がけているけれど、自分が感じている強迫観念をわかってほしいと思っていました。だから彼の前でも、不安や嫌悪を隠そうとしていなかったのでしょう。
強迫観念にさらされていると隠しきれないというのもありますが、甘えていたんです。
でも、不安や嫌悪は、まわりの人も不快な気持ちにさせます。潔癖症や不潔恐怖症はこうしたマイナスの感情を出すことが多いので、嫌われるのだろうと思いました。
人は違う価値観を見せられると不安になったり責められている気がする
もう一つ、潔癖症に対する意見で見過ごせないのが「自分だけが綺麗だと思っているのか」「人を汚いもの扱いして失礼」というものです。
私は、自分の清潔に対するこだわりが異常だという認識があり、汚いという考えが浮かぶのがとても苦痛で、治したいと思っています。なので、これに対する答えは。
「自分だけが綺麗だと思っているのか」→自分も汚いと思っています。私は恐怖対象が排泄物なのですが、自分のものなら大丈夫なわけではなく、自分の排泄物も人の排泄物も怖いです。
「人を汚いもの扱いして失礼」→自分がおかしいのはわかっているので、基本的には人を否定したり責める気持ちはありません。
とはいえ、いくら違うと言っても、そう受け止める人がいるというのは事実です。
自分と違う価値観を見せられると、不安になったり責められている気持ちになる人はわりといます。私は病前はそういう面が薄く、自分は自分、人は人と思っていたので、このことを知ったときにはびっくりしました。
強迫性障害になってからは自分の価値観がずたずたに壊れて、人の価値観を調べては不安になる日々でしたから、よくわかるようになりました。
違う価値観を振りまけば、いい気はしない・否定された気持ちになる人がいるということを、きちんと認識しておかなくてはと思います。
特に、私の場合は不潔恐怖症であっても綺麗好きではありません。潔癖症から綺麗好きを取ったという、悪いところしかない状態なので…。
人を不快にさせないように気をつけたいです。
強迫性障害は考えをコントロールできなくなる病気
テレビ番組では潔癖症の人が堂々と汚いと思う価値観を語るので、不快に思う人もいるでしょう。
しかし、私から見ているとこの人は潔癖症というよりは強迫性障害のレベルだという人もいます。仕事だから心の中で思っていることをおもしろおかしく外に出しているだけという人も多いのではないでしょうか。
強迫性障害の不潔恐怖症は、自分が望んで不潔が怖くなるわけではありません。
中には自分は正しいと思っている人もいますが、大部分は、なぜこんな風に考えるようになってしまったんだろう、この考えが浮かばなければいいと願って苦しんでいます。
そういう病気があることを知っていただけると嬉しいです。