感覚と経験を信じる。強迫行為を汚いと思う程度でやめる

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トイレ後の手洗いで腕まで洗うのをやめたいで書いた、治す方法を考えてみました。

大切なのは、治したいと強く思うことと、自分の感覚と経験を信じることだと思いました。

年末に書いた願いごとに、「強迫性障害になったことも忘れていて、すっかり元通りの私で生きていける」という願いについて、「そんなことは無いとわかっている」と書きました。

でも、これは間違っていました。

強迫性障害になったことは、忘れられません。けれども、元通りの私で生きていくことはできます。

トイレ後の手洗いも、地面に触ることも、病前の私と同じようにしようと思えば、できるはずです。それで何不自由なく、病気になることもなく、暮らしていたのですから。

強迫行為をやめて、少しずつ、前の動作に戻していく。そのためには、病前の自分の感覚と経験を信じることが大切です。

いままでにも、強迫行為の最中に「もうこれくらいでいいはず」「もうやめてもいいんじゃないか」と思う感覚はありました。けれども、中途半端に終わらせると、強迫観念が消えないのはもちろん、洗いなおしをしたり掃除をしたりと、もっと手間と時間がかかるので、やめられませんでした。

もういいと思ったら、そこできっぱりとやめる。洗いなおしも掃除もしない。

強迫性障害の私の感覚に従うのではなくて、病前の私の感覚を信じる。そうすれば治る。

 

とはいえ、いきなり何もかも元の行動に戻せるかというと、難しいです。なので、まずは強迫行為を、汚いと思う程度でやめることにしました。

いままでは、綺麗になったと感じるまで洗って、さらに念のために、「おまけのおまけの汽車ポッポ」とかなんとか思いながら、もう一度洗ったりしていました。

「おまけの…」というのは、子供のころ数を数えるときに使っていた歌です。

お風呂の湯船からあがるときに、親がしっかりと温まらせたくて、私に数を数えさせます。私は早く出たいから「いちにいさんしいごおろく…」と、早口で数を数える。それでは短すぎるので「おまけのおまけの汽車ポッポ」と付け足すことになっていたのです。

しかし、「念のため」を続けていたのでは、強迫行為は減りません。

念のためもおまけもやめて、洗い足りないくらいで強迫行為をやめる。がんばります。

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