トイレで大失敗。でもこれが転機になるかもしれない

彼と出かけてきました。

イオンに行ったら人が多くて、バッグなどにぶつからないように気を遣いましたが(バッグを床に置く人がいるので人のバッグも脅威です)、気分転換になり楽しかったです。

でも、トイレを我慢したために、大失敗してしまいました…。

イオンで尿意は感じていたんですよね。けれども、休日の混んでいるイオン。

手洗いをする間、彼を待たせることも、人が大勢いる手洗い場で長々と手を洗うこともつらく、我慢してしまいました。我慢できるという判断だったんです。

ところが、家に着いた途端に尿意が急上昇。それも着いてすぐにではなく、荷物を置いたり上着を脱いでいる間に、加速度をつけてこみ上げてきて。

トイレに駆け込むのと同時くらいに、漏らしてしまいました。

パンツの股の部分が少し濡れて、便座にも数滴こぼしてしまいました。ものすごくショックでした。

ジーンズは目立って濡れたようには見えませんでしたが、なんとなく内側の表面が湿っているような気がしました。

パンツを拭いて用を足して手を洗い、便座を拭いて手を洗うのを数回繰り返しました。

部屋に戻ったら、彼に「どうしたの?」と訊かれました。涙がボロボロと出て、言葉が出てきませんでした。

彼には少し前に、自分が強迫性障害だと思うということを、話したばかりでした。話しておいて良かったです。

やっとの思いで、漏らしたこと、パンツや便座を汚したこと、ジーンズは外側まで濡れていないけれど、自信が持てないことを伝えました。

彼は、「なんでもないよ、泣くようなことじゃない」と言いました。「座れば?気持ち悪いなら車で着替えを取りに行こう」とも。

そう言われても、万が一外にしみ出ていることを思うと、部屋で座ることも、車のシートに座ることもできるはずがありません。

また、着替えるだけで済むはずもありません。

私がこの汚染から逃げ出すには、家に帰り、汚した衣類を洗い、えんえんとシャワーを浴びなければならないのです。その労力を思うと、考えただけでため息が出ました。

本当ならこのあと、夜ごはんを作って彼と一緒に食べるはずで、それができないのも申し訳なく、悲しかったです。

べえべえと、子供みたいに泣いている自分。しかもその理由が、いい年をして漏らしたからで、それも不潔恐怖症のせいで、それで、それで…。もう、何を考えても涙が出てきます。

彼は、もう一度「座りなよ」と言ってくれました。私が「汚すから」と言うと、「大丈夫だよ。汚れない。汚れてもいい、俺が拭くから。拭けば大丈夫だから」とも。

嬉しかったです。嬉しかったけれど、今の私はやはり座れないのです。

 

彼に謝って家に帰りました。暗く寒い夜道を歩きながら、汚れが広がって、上着やバッグも汚れるのではないかという思いにつきまとわれました。

なんでこんな失敗をしてしまったんだろう。あのときトイレに行っておけば。そんな後悔が頭を渦巻きました。でも、一番の後悔は、こんな状態に追い込まれた、強迫性障害になった自分です。

家に着いてからの私は、ブツブツと独り言をつぶやきながら処理をはじめました。

「上着は汚れていないから大丈夫」「バッグは汚れていないから大丈夫」。口に出して確認しなくては、置くことができませんでした。

下着は、私はいつも風呂場で予洗いをしているので、汚れはいつもよりも多いけれど、洗えば大丈夫だと言い聞かせました。

「パンツはいつも洗っているから、洗えば大丈夫。生理の失敗と変わらないから大丈夫。ジーンズも股の部分だけ洗えば大丈夫」。

独り言を言う姿が、我ながら気が変になったようで、ふと声を出して笑いました。その笑い声もまさに狂気をはらんでいて、また泣きました。

いっそ、本当に気が狂って意識がなくなれば楽なのだろうか。そんな風に思いました。

パンツの洗濯は慣れているのでうまくできたのですが、ジーンズの股の部分だけ洗うのが、生地が厚いので難しいです。気がつけば洗っている範囲が広がっていました。濡れると、そこに汚れが広がった気がして、そこも洗わなくてはいけません。

捨てればよかったのかなと思いましたが、股が少し汚れただけ(しかも汚れたという確証もない)のに捨てるのも負けた気がします。一度濡らしてしまったので、いまさら捨てようにも、捨てる処理も大変です。

結局、ジーンズ全体を風呂場で手洗いするはめになり、かなりの重労働でへとへとになりました。

 

疲れたので湯船に入りました。普段は排泄物が広がる気がするので、湯船に入るのも避けていましたが、お風呂場も寒いし疲れたしで、入らずにはいられませんでした。

温かいお湯につかりながら、ぐるぐるといろんなことを考えました。今日の反省、ジーンズはちゃんと洗えたのか、明日、洗濯機で本洗いするのは何回するか、洗濯機を汚すことにならないか。

そんなことをひと通り考えたあとで、ふと、思いました。

いま入っているこの水も、いつも綺麗になるためにすがっている水も、もとは「外のもの」なんだよなあ。外のものというか、動物たちの排泄物や死骸やいろんな汚いものが混じっていて、それを綺麗にして使っているだけなんだよなあ。

というか、空気にだってトイレの床をなでた空気やらなんやら…排泄物そのものも蒸発して混じっているんだよなあ。

 

私はいったい、何を怖がっているんだろう?

 

細菌などを恐れる人は病気が怖いといいますが、私は体が丈夫な方で、そういう気持ちはありません。

漠然とした、ただただ「汚れる」という気持ち。

普通の人たちが、それに対して平気で暮らしていること。

水が、もともとは汚いものも飲み込んでいること。

そんなことをつらつらと考えていたら、ふっと「薄まれば大丈夫なんじゃないか」という言葉が浮かびました。

私はそれまで、汚れを徹底的に排除しなければいけないと思い込んでいました。

でも実は、薄まれば大丈夫なんじゃない?汚れていても汚れが薄くなれば、生きていけるんじゃない?

 

漏らしてしまったことで、本当にもう強迫性障害を治したいという気持ちが強くなったこともあったのでしょう。

私はこの日から、少しずつ強迫行為を押さえることができるようになりました。

ちなみに、帰宅してお風呂から出るまでで、2時間半が経過していました。

 

強迫性障害を治すにはショック体験をするといいというのは、聞いたことがありましたが、不慮の事故から実現したわけですね。

ある意味、曝露反応妨害法のような効果があったのかもしれません。

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