1週間ほど前から、トイレ後の手洗いを水だけの手洗いにしました。石鹸を使わなくていいかどうかが不安で悩んでいましたが、やっと実行に移せました。
トイレ後の手洗いは水だけでいいのか?
私は強迫性障害になる前は、トイレ小のあとの手洗いでは石鹸を使っていませんでした。トイレタンクについている手洗器で洗うだけでも大丈夫でした。強迫性障害になり、石鹸を使い始めて手洗いが長くなりました。
ネットで調べた結果、トイレ小のあとの手洗いでも石鹸を使う人は39.0%と多いようなので、治ってからも続けようと思っていました。
トイレ後の手洗い、どうしてる? 大の後でも洗わない人が3%
しかし、私の体感では、石鹸を使う人は10%もいないのです。アンケートが偏っているのか、世代の差なのか。
公衆トイレで見ていると、ほとんどの人は石鹸を使っていません。そもそも、自分の学生時代、仕事先、家族、友達。どれをとっても、トイレ後に石鹸を使っている人はほぼ見ません。
石鹸を使わなくてもいいのではないか?
そう思いながらも、石鹸を使って丁寧に洗う習慣がついてしまったので、なかなか踏みきれませんでした。石鹸を使わないことが正しいという自信も持てませんでした。なにしろ、衛生的に言えば石鹸を使うことを推奨されているのですから。
その一方で、石鹸を使っていては、これ以上の手洗い時間の短縮はできないということもわかっていました。
また、もし外出先のトイレに石鹸が無かったらどうするのか?という問題もありました。石鹸での手洗いを守っていたら、石鹸がないトイレには入れません。個人経営のお店や人の家などには石鹸があるとは限らないので行けず、行動範囲が制限されたままです。
私の気持ちは、だんだんと水だけの手洗いに傾いていきました。
ひさしぶりに曝露反応妨害法をした
今後ずっと水だけの手洗いにするかどうかはともかく、いざというときのために「水だけの手洗いでも大丈夫」にはしておこう。
トイレに行くたびにそう思いながらも、「このあと料理をするから」「仕事が忙しいから」と言い訳をして、なかなか行動に移せませんでした。でも、1週間ほど前にたまたまぽっかりと時間が空いたので、やってみようかなと思いました。
まずはトイレの汚れが少ないと思える、お風呂に入ったあと1回目のトイレのあとにやることにしました。
石鹸を使うとき以上に手をこすり・洗い流しました。手を拭いて部屋に戻ってきたものの、手を使うことができず、胸の位置に上げたままです。石鹸を使い続けていたせいで、水洗いだけでは手洗いをしていないのと同じくらい汚く感じます。
この手で顔に、体に触り、部屋の中のいろいろなものに触り、汚れを広げて慣らしていけばいい。やり方はわかっているのに、曝露反応妨害法をするのがひさしぶりだということもあって動けません。
そのとき、ふと鏡に映った自分の姿が見えました。
不自然に宙に上げられた両手。
次の瞬間、私は手を交差させて、自分を抱きしめるような形で二の腕に手をこすりつけていました。そのまま、顔、髪、体に触りました。
私は何をしてしまったんだろう?トイレの汚れを広げてしまった!すぐに強い後悔におそわれました。
やりたいと思っていたのに、どこかで、やるはずがないと思っていたのでしょう。石鹸を使うか使わないかの葛藤にも決着がついていなかったので、できるかどうかは半々くらいの気持ちでした。
けれども、鏡で見た自分の姿…手をあげたポーズが不自然で、いたたまれなくて、壊したかった。それで、できたのだと思います。
水洗いだけにしたら、自然に手洗いの時間が短くなった
最初に曝露をしたのがお風呂のあとという、比較的きれいな状態だったので、定着するか心配でした。はじめのうちは、不安が強いと石鹸を使って洗いなおすこともありましたが、すぐになくなりました。
また、水だけでも石鹸を使っていたときと同じくらいの時間洗っていたのが、だんだん短くなりました。石鹸を使うと、石鹸成分を洗い流す時間が長いので、そこが短縮できました。
水だけの手洗いは「お試し」のつもりでしたが、格段に楽なので、石鹸を使いたいという気持ちはなくなりました。
爪の中の汚れや水はねなど、まだ細かく気になる部分もあります。けれども、根本的に「完璧には洗えていない」と思っているので、前よりは気にならなくなりました。