日曜日は、恋人と過ごしていました。
お昼ごはんは、よく行く定食屋さん。どちらかというと男性客の多い、飾り気のないお店です。
料理を注文したときのことでした。メニューをテーブルの端に置こうとしたら、するっと床に落としてしまったのです。
メニューと言っても紙を1枚パウチしたもので、テーブルと壁の間に落ちたので、床に触れたのはフチ1辺だけ。それでも、テーブルに置いて見るメニューを床に落としたことと、拾う時に左手がテーブルの脚に触れたことが気になりました。
メニューの床に触れた部分をおしぼりでよく拭きました。そのあと、おしぼりの面を変えて、全体を拭きました。床に触れていないところを拭いたのに、おしぼりが汚れて、もともと汚かったのかも?と微妙な気持ちに(笑)
店員さんにメニューを落としたことを言って拭いてもらいたかったのですが、忙しそう。それに、メニューを床に落としたからといって、そんなことを頼むものでしょうか?
彼に、「メニュー、拭いたけど大丈夫かな?」と訊いたら、「大丈夫だよ」と言われ、料理も運ばれてきたので、それで終わりにしました。
ただ、こうして振り返ると、やはり店員さんに拭いてもらったほうが良かったと考えてしまうんですよね。たぶん、私が拭かずに店員さんに渡しても、床に触れた部分なんてわからずに、全体を水拭きするでしょうから、おしぼりで拭いたのと変わらないはずです。私が拭いて、店員さんにも拭いてもらったら、より完璧だったかも。
お店を出た後、今度は、メニューを拾うときに左手がテーブルの脚に脚れたことがじわじわと気になりだしました。手はメニューを拭いたのと別のおしぼりで拭いたのに、洗わなければ気がすまない気持ちです。
このままの手で他にものを触ると汚してしまう気がして、できるだけ左手を使わないようにしていました。
そのあとに行ったお店のトイレで手を洗うか迷ったのですが、トイレを見たら入り口にドアがついているタイプ。中で手を洗って、出る時にドアを触らなければならないので、このままの方がましな気がして洗いませんでした。
ところが、家に着いて彼の車を降りるときに、油断したのか左手でドアを閉めてしまいました。あー、やっちゃった!と思いましたけれど、そもそも、車の外側なんて雨や土埃をかぶっているのだし、彼は地面に置いたものでも普通に触っている人なので、もういいやという気分になりました。
夜ごはんのときは、手で食べるものがあったので、彼に手を洗うようにお願いしました。
彼は、トイレの後以外は、ほとんど手を洗いません。できれば外から帰ってきたときと食事前は洗って欲しいのですが、肌が弱いということもあり、なかなか習慣づかないようです。私自身、昔は必ず洗うという習慣がなかったので、強制する気はありません。
彼に「石鹸も使うの?」と訊かれて、「それはまかせるよ」と言ったら、キッチンで水洗いだけしていました。私が横にいたせいか、意外と丁寧に洗っていました。
最後に、手をピッピッと振ったときに、調理台に水しぶきが跳ねたのが気になりましたが、「洗ったあとの水しぶきなのだから」と目をつぶりました。
ごはんのあと、彼の家のトイレがけっこう汚れていたので、軽く掃除。私は自分の家のトイレ掃除はお風呂の前にしかできませんが、便座を拭くくらいならいいだろうと始めてしまいました。
結局、掃除し終わった後の手洗いを石鹸で3回、20分くらいしてしまいました。手洗いをしたあとも気持ち悪さがつきまとい、しばらく何も触れない状態です。
彼に、トイレ掃除をしたあとの手洗いは何回するかを訊いたら、1回だと言われました。というか、何を訊かれているのかわからないという風でしたね。2回も3回も洗うなんて、思いつきもしないのでしょう。うらやましく思いました。
そのままあれこれと違う話をして過ごしていたら、汚いという気持ちは薄れていきました。
夜遅くに帰宅。お風呂に入るのが面倒で、手と足を石鹸で洗って済ませました。いまになって、トイレ掃除をしたのにお風呂に入らずに寝たんだと気がつきましたが、トイレ掃除による汚染感は帰宅時にはなくなっていたので、もう消えたことにします!
振り返ってみると、まだまだ、強迫観念に振り回されている一日ですね。でも、以前は絶えず綺麗・汚いを考えていたのにくらべると、いまはセンサーが緩くなっている感じ。進歩していると思います。