復習で終わりました。
足に触れるようになったので、トイレに行くのが楽です。いままでは、トイレに行く前にズボンの裾を折る→トイレ→石鹸で手洗い→裾をなおす→水で手洗い、という流れでした。
それが、裾に触っても手洗いをしなくなったので、かなり楽になりました。まあ、裾を折らないで大丈夫になれば、もっと楽なのでしょうけれど。
足に触っても、手を洗うのを我慢するというよりは、「あ、もう洗わなくていいんだ」と思います。洗いたい気持ちも少しありますが、もうやめたんだった、と思い出す感じです。
できれば、「膝に触る」「外出着のまま家の中で過ごす」をやろうと思っていたのですが、できませんでした。
「膝に触る」ができなかった理由
「膝に触る」は、どうしても勇気が出ませんでした。膝だよ、膝。なにが怖いの?と、自分でも思いますが、トイレのときに下着を膝付近までおろすので、汚れている気がするのです。
強迫性障害になる前に、ショートパンツや下着だけで過ごす日もあったことや、膝小僧が乾燥するのでこまめにクリームを塗っていたことを思い出してみました。
けれども、自分の中のもう一人の自分が、完全にうずくまっています。踏み出せないのです。
インターネットで、自分の膝に触れない人がいるかどうか、検索してみました。こういう、普通の価値観を探すようなことはしない方がいいとわかっているのに、追い詰められるとしてしまいます。
当然、そんな人は見つかりませんでした。
たぶんここから先は、「汚くないよ」と自分を説得するのは無理で、理屈抜きで触るしかないのでしょう。
「外出着のまま家の中で過ごす」ができなかった理由
外出する時間がありませんでした。着替えるだけでやろうかとも考えましたが、外で過ごして汚れをつけてこないと、あまり意味がないかなと。
土日は外出するので、月曜日に家に帰ってきたときにやります。
その他。お風呂、ゴミ箱、汚れタオル
生理中なので、昨日に続けて今日もお風呂に入ってしまいました。曝露反応妨害法では入浴にも制限があり、本当は入ってはダメです。
でも、2日続けてお風呂に入るなんて、入浴時間が長くて苦痛な私にとってはひさしぶりの快挙です。それはそれで、できた!という気持ちもあります。
あと、今日はゴミ箱がいっぱいになっていたので、ゴミをギュッと押すことができました。なんのこっちゃですね。
いままで、ゴミが怖くて、ゴミ箱の中に手を入れて触れなかったのです。なので、これもひさしぶりのことでした。
ゴミに触ったあとは、流水で手洗いをしました。そのあとでもう一度ゴミ箱を見たら、トイレットペーパーの芯が見えて、石鹸で洗いなおしたくなりましたが、もう洗い終わったのだからと我慢しました。
手洗い後は汚れタオルに触ります。
私の場合、手洗いありで曝露反応妨害法をしているのに、手洗い後でも手が汚れているという感覚は残っていて、直後に物に触るのにためらいがあります。
最近は、手洗い後に洗いなおしをすることは、ほとんどありません。ということは、いつ触っても一緒。というより、細菌は時間がたつにつれて増えるのだから、洗いたての方がきれいなんですよね。
でも、手洗いのときの緊張が続いているのか、手洗いしたとはいえ、完全には大丈夫と思えないようです。
汚れタオルに触るときは、手もタオルも両方とも汚い気がします。どちらが汚いのか考えてしまいましたが、どちらでもいいんだ、汚れを混ぜることが大切なんだと思い、触りました。
曝露反応妨害法3日目をやった感想
仕事をしながらやっているために、仕事に逃げてしまうので、よくないなと思いました。本来ならば、曝露反応妨害法をしっかりとやって、あいた時間を仕事にあてるべきなのです。
なのに、触れないものに向き合うのが怖くて、先に仕事をしてしまい、結局、取りかかるのが夜になってしまう。
前に読んだ、壺に石ころと砂を入れる教授の話を思い出しました。
大きな石を先に入れろ
「自分にとって一番大事なものを最初に選ばないと、人生は重要でない何かに満たされたものになるだろう」というお話です。
普段の私にとっては、仕事が大事です。けれども今は、曝露反応妨害法を優先させなくては。
この記録を書くのにも時間がかかり、睡眠不足でもあります。
睡眠不足は精神的にも良くないですし、曝露反応妨害法をやる元気もなくなってしまうので、次回からは早い時間に終わらせます。
土日は彼の家に行くので、お休み。私は彼の家は外とみなしているので、家にいるときと触れる・触れないの基準が違います。
これまでやった中では、中古本と足は、彼の家でも触れなかったものなので、休みの間も触って復習します。あと、膝と、不安階層表で上位の腰・太ももに触る決意をしたいです。