『note』に「不安やこだわりが強い子へのかかわり」という記事が掲載されていました。
強迫性障害の患者への接し方は、よかれと思ってしたことが症状を強めてしまうこともあるので、とても難しいですよね。
強迫症状のある子供へのカウンセリング治療の様子が書かれていて、接し方の参考になります。
不安やこだわりが強い子へのかかわり(岡嶋美代:道玄坂ふじたクリニック 心理療法士)#不安との向き合い方
消しゴムのカスや鉛筆が汚いから学校に行きたくない
1人目は、「消しゴムのカスや鉛筆がキタナイと思うから学校には行きたくない!」という小6の子。
学校から帰ってきた弟にお風呂を強要するなど、なかなか困ったことになっています。
小学校6年生にもなると主張もはっきりしてきて親ともぶつかりますよね。
消しゴムのカスや鉛筆の汚れが嫌だと言っても否定されるので、強いオオカミのマスクをつけて「本当に嫌なんだぞ!」とお母さんを脅しています
強迫性障害の患者にとって、強迫観念はいまここにあるリアルな脅威。
でも、家族や周囲の人にとっては、たいてい「どうでもいいこと」なので否定されがちです。
母親の「汚くないよ、大丈夫」という言葉も、子供の汚いと思う気持ちの否定になってしまう…。
カウンセリングでは、子供の強迫観念を否定しないこと、子供の気持ちを想像して言葉にする練習が提案されました。
初診から数カ月たったころ、シノブちゃんはカウンセリング室の椅子にいきなりストンと座ってみせた。「どうしたの?」と驚くと、「面倒くさいのでやめることにしたの」という。「学校に行かないのも退屈だし、友だちと遊びたいから、ちょっと嫌だけど消しカスを触ることにしたの。勉強したいから、鉛筆も触ることにしたの」と。あまりにも鮮やかな展開だった。
不安やこだわりが強い子へのかかわり(岡嶋美代:道玄坂ふじたクリニック 心理療法士)#不安との向き合い方
この部分にはとても感動しました。
「面倒くさいのでやめることにした」
「〇〇したいから、嫌だけど触ることにした」
こういう気持ちこそが「強迫性障害が治る」きっかけであり、本質だと思うのです。
子供ながらに何が大切かちゃんと理解できて、すごいです。
コロナが怖くて消毒や手洗いが過剰になった
2人目は、コロナの菌を怖がって消毒や手洗いが過剰になってしまった小1の子。
コロナは大人でもどこまで気をつければいいか悩みます。
小1にしてコロナという怖い菌がある、それは洋服にも手にもついているかもしれないと理解して怖がるのは、ある意味、利発なお子さんですよね。
とはいえ洗浄が過剰になると、感染するかどうかわからないコロナよりも、強迫行為のほうが問題となってしまいます。
カウンセリングでは手洗いを減らしたり、“コロナが付いたかも不安”への対応を行っていました。
私は、自分が握っていたノートPC用の小さなマウスを差し出した。
Th(※セラピスト):これにコロナが付いているかもと言ったら、どうする?
Cl(※クライアント):え? 嫌だ……触りたくない
Th:そうだねえ。今日からもうひとつ練習します。先生が“コロナが付いているかも”と言ったら、ネズコちゃんに”あ、そう!”と言ってもらいます。できるかな?
「あ、そう!」いいですねー!
肯定のようで、どうでもよさそう。
クライアントである子供が「触りたくない」と言うのを「そうだねえ」と受け止めたうえで、練習に移るのも鮮やかです。
この時点では「あ、そう!」と言う練習であって、触る練習ではありません。
しかし、次のステップで「あ、そう!」がいきてきます。
Th:次は、“あ、そう!”と言った瞬間に、こうやって触ります
と言ってマウスを握って見せた。
Th:だって、“あ、そう!”だもんね。やってみよう! ”コロナが付いているかも”
Cl:あ、そう!(触る)
なるほどなあ。
マウスは汚くないよ、コロナはついていないよ、という理屈での説明ではなく、「大丈夫」の感覚を叩き込む感じでしょうか。
例えば、コロナが付いていると思って避けることが、そこに危険があることを事実化してしまうのだという論理は、目の前で実験して見せるだけで子どもも容易に納得する。避けなければ、危険は(ほぼ)ないとみなすことになる。これを繰り返すことで、この程度で大丈夫だという勘を育て、自分の判断に対する自信を積み重ねることができるのである。
そう、「かもしれない」というわずかな可能性でも、強迫行為をすることで「危険なもの」に決めつけられ、強化されてしまうのですよね。
私はこれをどんどん増えていく手洗いで学びました。こちらの記事に書いています。
手はどのくらい洗えばいい?洗えば洗うほど汚くなる
強迫性障害を自分で治すのにも使える
強迫症状へのカウンセリングの様子がわかって、とても参考になりました。
- 強迫観念を否定しない
- 患者の気持ちを想像して言葉にする
- 強迫行為を足りないくらいで止める
- “コロナが付いたかも不安”に対しては無視をする
- 避けなければ、危険は(ほぼ)ないとみなすことになる
特に「強迫観念を否定しない」「気持ちを言葉にする」なんかは、私も強迫性障害を治すうえで使っています。気持ちが楽になるのでよかったです。
自分で治すときは、長い目で見て強迫行為が減っているかを確認しながらやるのが大事ですね。
「無視をする」「危険はないとみなす」は大人だと強迫観念の理屈が出てきて難しいところですが、意識していきたいです。
この記事の岡嶋美代先生が共著されている本はこちら。