前回の記事のように地面が汚いという強迫観念がわいたとき、どのように気持ちの整理をするかどうか。
前回の記事はこちら。
地面の汚れで恋人に巻き込みをした
安心を求めるのは治療的にはよくないといいますが、私は諦めたり受け入れるために理由を考えてしまいます。
諦めると安心?じゃなくても平静さは取り戻せるので、何がいいのかわかりづらいのですけれど。
- 綺麗だと安心する → よくない
- 汚いと諦める → いい
なのかなあ。
強迫性障害にとっていいのか悪いのか迷ったら、強迫行為を減らせる行動がいいと判断しています。
子供がしたことだと想像する
地面に触った人がお店の商品に触るというのはめずらしくないことです。
前回、相手が彼なので手洗いをして欲しいと思ってしまいました。
幼児だったらどうでしょう。
まだ歩き始めたばかりの小さい子供がよろよろと地面に手をつく。
気にする親は手を綺麗にしようとするかもしれません。
でも、幼児はこちらの思い通りになるとは限りません。
「いやー!!!」と泣き叫ばれることもあります。
手洗いに連れていけないのはもちろん、ウェットティッシュで手を拭こうとしても手をギュッと握りしめて拭かせてくれないのは想定の範囲内。
そうなると諦めて、そのままにするしかありません。
落とした物が家にあった
と、ここまで書いて、むかしむかしに外の床に落とした物が家にあると思い出しました。
雑貨屋さんで見るときに床に落としてしまった置物を、店員さんに謝りながらそのまま買ったのですよ。
欲しくて手にとったので買ったことに後悔はないですが、気まずさはあったので覚えていました。
そうか、あれ、洗ってはいないなー。
ちょっと洗いたくなってきたので、洗わないようにします。
さんざん触ったあげく大事に飾っているし、ほかにも床に落ちて忘れたり気がついてないものはたくさんあるはず。
強迫性障害になる前は意識していなかっただけなのです。
その場で考えても抵抗できない
こういったことを、強迫観念がわいたときにぐるぐると考えて抵抗しようとしています。
もちろん、前回のときも考えました。
それで強迫行為を我慢できるかどうかというと、なかなか難しいですね。
諦めようと思っても、強迫行為ができる状況にいると粘ってしまう…。
ハプニングが起こったら考えるのもいったんやめて、その時の自分がどうできるかを判断します。
そのうえで、落ち着いてから考えたり曝露反応妨害法をやるのがいいと思いました。