缶ビールや缶ジュースを飲むときに飲み口を洗っていましたが、洗わずに飲めるようになりました。
缶が汚い可能性は強迫性障害になる前から知っていた
缶飲料の飲み口を洗うかどうかは、強迫性障害になる前から気になってはいました。
会社員時代の同僚に「缶の飲み口は汚いから拭いてから飲む」と言われたのです。その同僚は潔癖症気味ではなく、わりとおおらかな人だったので印象に残っていました。
潔癖症っぽい人の言葉だったら「細かいことを言う人だな」と、自分には関係ないこととして気にしなかったかもしれません。
とはいえ印象に残ったというだけで、自分でも拭くということはしませんでした。
トイレの汚れが怖くて缶を洗うようになった
強迫性障害になってから、トイレ後に手洗いをしていない人が触った可能性があるもの=外のもののほとんどを汚いと考えるようになりました。
缶飲料は自動販売機やお店の棚を補充する人の手を介して汚れているように思いました。
缶ビール(と言っても私が飲むのは第3のビール)も直接飲んでいたのを、缶の飲み口を洗って、グラスに注いでから飲むようになりました。
もっとも、グラスに注ぐようになった理由は自分の唾液に対する恐怖のほうが中心なのですが。
6缶パックは紙で包まれているから大丈夫?
私が普段飲む缶飲料はほとんどが6缶パックの缶ビールで、缶が厚紙で包まれています。
しかし、その厚紙は持ちやすくするために真ん中に穴が開けられています。穴が開いていなければ汚れていないと思えるのですが、たいていのお店では店員さんによって穴が開けられているんですよね。
買うときにはなるべく穴が開いていないパックを選ぶのですが、それでも缶を洗ってしまっていました。
洗わない習慣がついてやめるきっかけになった
数か月前にAmazonでビールを箱買いしました。缶は6缶パックとして厚紙で包まれて、それがさらにダンボール箱に入っている状態です。
これはさすがに洗わずに飲んでもいいんじゃないかなと思いまして、箱買いしたストックがある3か月ほどは缶を洗わずに過ごせました。
そしてストックがなくなり、また6缶パックをスーパーで買うようになったのですが。もういいかなと思って、缶を洗わずに飲めるようになりました!
ほとんどの人は洗わずに飲んでいるのだし、自分でも強迫性障害になる前は洗っていなかったのだし。
缶からグラスにビールを注いで、口をつけるときにはドキドキしました。でもそれだけ。
いままでの曝露反応妨害法のように、「やっちゃった!」とか「大丈夫かな」という大きな不安はなく、ただ静かに「やめられた」と思いました。
その日のビールはとてもおいしかったです。強迫観念がもたらす不安の最大値が、また小さくなっているのを感じました。