普通に汚い家族に感謝

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

お正月は実家に行ってきました。

私の実家は、たぶんとても普通です。清潔度で言っても、たぶん普通です。もしかしたら普通よりも汚いかもしれないけれど、こんなものじゃないかと思います。

強迫性障害になってから、そんな「普通に汚い」家族に感謝するようになりました。

我慢できないほど不潔ではなく、潔癖症というほど綺麗好きでもない。その普通さが、どんなに貴重なことか。

家族は、外から帰ってきても必ずしも手洗いをするわけではなく、トイレのときはタンクにそなえつけの手洗器で手を洗います。

外出着のまま家の中で過ごし、お金に触っても手を洗わず、宅配便の段ボール箱を収納に使ったりします。

私が不潔恐怖症になってから苦手になったものごとで満ちあふれています。

でも、私はそんな風に暮らしている家族を否定することはできませんでした。

育ててくれた両親と、一緒に育ってきた兄弟とその家族。特に立派な人たちではありませんが、ごく普通にいい人たちです。

おかげで、家族を否定するのは違う、おかしいのは自分だと理解することができました。それは家族だけではなく、他人を肯定することにもつながります。

強迫性障害の自分は間違っていると、自分で警鐘を鳴らし、以前の自分に戻っても大丈夫だと信じて、少しずつでも治せました。

強迫性障害になったことは家族に言っていないので、感謝の気持ちは伝えられませんが。両親には、普通を教えてくれてありがとうと言いたいです。

 

強迫性障害の患者さんのご両親には、自分の育て方が間違っていたのではないかと思い悩まれる人もいらっしゃるかと思います。

でも、私は厳しくも潔癖でも不潔でもない家庭で育ち、特に大きな問題やストレスがなくても、落とし穴に落ちるようにすとんと強迫性障害になりました。

たいした理由も原因も無く強迫性障害になることも、あるのではないかと思います。

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