工事現場の水がかかった件で、恋人に確認をしてしまいました。
想像していた会話とは、やや違う展開になりました。
が、話してすっきりしたし安心したので、やはり強迫性障害の巻き込みになるのだと思います。
外壁洗浄の水は汚いと言われた
恋人に、工事現場から飛んできた水がかかって濡れたことを話しました。
彼は笑ったあと(軽いハプニングは笑い話ととらえる人です)、「外壁洗浄の水ってけっこう汚いんだよ」と言いました。
おお、そうきたか。汚いと言われる予想はしていたけれど、想定よりも汚いよりだな!
彼「外壁って汚れているからね。車にかかって跡になったことがあるなあ。意外と落ちないんだよ、あれ」
私「コートやリュックにかかった…。暗くてどのくらいかかったか見えなかったし、家に帰ったときには乾いてた」
彼「まあ、拭けば落ちるよ」
私「落ちるというか、見た目では汚れてなかった」
彼「さっと拭けばいいんだよ」
私「汚れてなくても拭かなくちゃいけない?危ないの?」
彼は「危ない」という言葉で、私が強迫性障害としての質問をしていると気がついたようです。
彼「危なくはないよ。汚れがついてなかったなら拭かなくてもいい」と、保障してくれました。
強迫性障害の巻き込みは欲しい答えを誘導してしまう
彼から、「拭かなくていい」という言葉を聞きたいために「危ない」という言い方で誘導してしまいました。
彼が私の要望を察知して答えてくれたとき、申し訳なく、恥ずかしくなりました。彼は「このくらい何でもないよ」と言ってくれるのですが…。
私も危ないとまでは思っていないのです。
水をかけられた時点で、この汚れは落とさなくてもいいと判断しました。
それなのに、拭くことをすすめられたので苦しくなりました。
巻き込みをする人の中には、自分が欲しい答えをセリフのように指定する人もいます。
私はそれでは安心できません。
私が欲しいのは、彼がどう考えるか。彼の判断を聞いて、自分の判断が正解だったか確認したいのです。
もし彼が「目に見える汚れがついてなくても拭いたほうがいいよ」と言ったらどうしていたか…。
汚れがついた当日は何もせずに耐えられたのだから、彼と意見が食い違ってもがんばれたのかな。
もし彼がいなかったら誰にも質問できないですしね。一人でも耐えられたのかも。
と、強迫行為や巻き込みをしたあとは「やらずに済ませられたのでは」と考えてしまいます。
強迫観念から解放されたから、そう思うだけなんですよね~。
洗浄するほうが苦しくなる
汚れたかどうかそんなに気になるなら、ちょっと拭けばいいじゃないかと思われるかもしれません。
しかし、強迫性障害での拭く行為は簡単ではありません。
汚くないと判断していても、拭いてしまったら「拭く必要があるほど汚い」と思ってしまうのです。
見えない汚れを完璧に落とそうとして、洗浄行為を繰り返す可能性があります。
そもそも目に見える汚れはなく、水がかかった範囲も把握できていません。
コートとリュックの表面をくまなく何度も拭き、それでもおさまらずにコートはクリーニングに出すか最悪は捨てる。マフラーも服もリュックも、何度も洗うことになるかもしれません。
そこまでいけば、工事現場にクリーニング代を請求したい気持ちも出るでしょう。しかし、水ごときでクリーニング代を請求できません。
いえ、できるかもしれませんが、普通はそこまで荒立てないとわかっているので、私にはできません。
こういった、さまざまな葛藤に悩まされるのです。
なので、汚くないと判断したなら、いっさい拭かないほうが楽です。
「一応」「念のために」と、さらっと軽く拭けるようになったときが、私がもう一段階、回復したときなのでしょうね。
汚れたままのほうが楽になる
コートとマフラーは、週末にしっかり使って汚れを広げました。
え?結局、汚いと思ってるの?と思われるかもしれませんね。
ええ、思っていますよ。
ただし、この程度の汚れなら、拭いたり洗ったりする必要はないとも思っています。
それでも万が一の「汚れているかもしれない」「洗浄する必要があったかもしれない」という不安は抱えています。
マフラーやコートに触れるたびに不安を感じながら過ごすことで、不安は薄れていきました。
日曜日が終わり家に帰ってきたころには、不安はほとんど出なくなりました。
巻き込みはしてしまいましたが、一番大切なのは洗浄行為をしないこと。
数日苦しくても、洗わなかった経験を積むことで、将来的には楽になれると知っています。