水濡れが尿ではないかという錯覚

ひさしぶりに、強い強迫観念におそわれました。

このところ調子が良かったので明るい記事を書くつもりだったのですが、はまってしまいましたね。

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水濡れが尿に思える

食器洗いをしていたら、トイレに行きたくなったんですよ。水に触るとトイレに行きたくなることって、よくありますよね。

いそいで終わらせてトイレに入りました。座ると同時くらいで間に合ってセーフ!と思ったのですが。

部屋着のズボンの外側、お腹のあたりがちょんちょんと濡れていることに気がつきました。

間に合ったよね?まさか便器に座る前に漏らした?

そうです。「ズボンが濡れているのは尿ではないか」という強迫観念がわいてきたのです。

漏らしたことがあるから不安になる

私は強迫性障害になってからトイレ関係では苦労していまして、トイレを我慢しすぎて漏らしたこともあります。

でも最近では、トイレに行くことも怖くなくなり、トイレ後の手洗いも短くなり、行きたいときに行けるようになったんですね。

むしろ頻繁に行き過ぎかも?と思うくらい。

このときはたしかにトイレに行きたい!と思って少し我慢してから駆け込んだのですが、そこまで切羽詰まってはいませんでした。

便器に座った瞬間ではセーフと思いました。

それなのに、ズボンが濡れているのを見たとたん、尿ではないかと不安になってしまったのです。

尿だったら次の行動に移るはず

普通に考えれば、ズボンの水濡れは、直前まで食器洗いしていたときの水はねでしょう。フライパンを洗っていたので、シンクの外に飛び出るくらい水がはねていましたから。

それなのに、その時の私は尿だと思ってしまうんです。なんなら、確率が9割くらいに思えます。

でも、本当の本当にそう思っているのだとしたら。私は迷わずに着替えるはずなんです。ズボンも洗濯するはずなんです。

そうしないということは、頭のどこかでは「いや水でしょう」と思っているんですよね。

どちらかが真実かはわからなくていい

強迫性障害がひどいときだったら、ほんの少しの可能性があるなら見過ごせず、着替えて洗濯するという強迫行為をしていたことでしょう。

しかしもう、それはしたくないと思う自分がいます。

着替えてしまったら、同じような目にあったときにまた不安になってしまう。

「今回だけ強迫行為をすればいい」というのは甘い考えであることを、私は痛いほど知っています。

辛い。苦しい。でも、とっさに着替えようとはしていない。

だったら私は、水だと思っているはず。

もし、尿だったら?

それはそれで仕方がない。尿がついた服を着たまま、汚れを部屋中にまき散らしても仕方がない。

強迫行為はしないと決めた

曝露反応妨害法なら、ここで水濡れした部分(すぐ乾きましたが)に触ったりしたほうがいいのですが、それはできませんでした。でも、すごく避けるということもしませんでした。

頭をフル回転させて疲れたので、ベッドに入りました。尿だったら、汚れたままベッドに入ってるなあと思いました。

その時点で、強迫行為はしないと決めたはずなのに、まだぐずぐずと悩み…。

最終的に、ズボンを脱いで臭いを嗅いでみたんです。が、何の臭いもしないので近づきすぎて、鼻をくっつけてしまい…そこで我に返りました。

そもそも私は、汚いと信じていると臭いを嗅ぐこともできないのです。こうして鼻がつくことを恐れますし、臭いにも汚れの微粒子が含まれていると考えているので、吸い込むことも嫌ですから。

鼻をくっつけられたならもうどうでもいいな!着替えないことには決めた!!

もやもやは残りましたが、強迫行為をしないということだけ決めて、時が経つのにまかせました。

さすがに尿への恐怖はまだ高く、半日くらいはひきずりましたね。

でも、強迫行為をしなくて良かったと思います。

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