強迫行為をやめたいと思うことが大事

強迫性障害が良くなってきて、あらためて思うこと。

強迫性障害を治すには、自分が本当に心から強迫行為をやめたいと思えるかどうかが大事だなと思います。

認知行動療法で言う「動機づけ」ですね。

やめたいと思いながらも、「汚れてしまったから洗いたい」「このくらいは洗わないと綺麗にならない」と信じていると、なかなかやめられません。

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強迫性障害は強迫行為をやりたくてやっているのか?

強迫性障害は「わかっているけどやめられない」病気だと言いますが、私は、自分は強迫行為を「やりたくてやっている」のだと考えるようにしています。

同じ強迫性障害の人は、こんなに辛くて苦しいことをやりたいわけがない!と思われるかもしれません。

でも、強迫行為をしている瞬間で考えてみたんですね。

私は、強迫行為をしなければ汚い・不安だ。そういう強迫観念にとらわれて、すすんで強迫行為をしています。むしろ、ものすごく一生懸命にしています。

その瞬間では強迫行為をしないよりも「するほうが楽」になるから、そちらを選択しているのです。

強迫観念のせいとはいえ自分が選んでいる行動だと思ったわけです。してしまう理由は置いておいて、結果的に強迫行為をしているという事実を見つめました。

強迫行為は、羽交い絞めにされて両手を持たれて力ずくで手洗いさせられているのではなく、頭に銃を突きつけられて「洗え」と言われているようなもの。

映画に出てくる上品な悪役のように「選ぶのはお前だ」と言わんばかりに。

恐怖に怯えながらも、自分の脳から指令を出して自分の手で水道の蛇口をひねり手洗いをしている。そして、現実では私の頭に銃なんて突きつけられていないのです。

これはあくまでも、私が自分自身を治療に向かわせるために、こういう考え方に持って行くほうがやる気になれたというお話です。

本当はもちろん、強迫行為をやりたくてやっているのではありません。なにしろ、銃が幻だと信じられないのですから。

強迫行為をやめることはとても難しい

こう書くと「自分の意志なら頑張ればやめられるのではないか?」と思われるかもしれませんが、そうではありません。

強迫性障害は脳が誤作動を起こしていて、やる必要がない強迫行為を「やるべき」という指令を出している状態です。

強迫観念による不安や恐怖が強すぎて、やるも地獄・やらないも地獄。強迫行為を選ばざるを得ないのです。

身近な話でも、明日から早起きをしようとかダイエットをしようと思っても、パッと行動に移せて続けられる人は少ないですよね。それと同じように、わかっていてもやめるのはとても難しいです。

それに、早起きやダイエットはやらなくても現状維持なだけ。私は、強迫性障害の治療はアルコールや薬物のような依存症を治すのに似ているのではないかと思っています。

強迫性障害の場合は強迫行為をしないと不安ですから、やめるにはかなりの精神力が必要です。

でも実は、不安だからといって強迫行為を繰り返すと、不安をさらに強化してしまうのです。

最初は2回3回で済んでいた強迫行為が5回6回…と際限なく増えていった経験はないでしょうか?これが、強迫行為を続けていると強迫性障害が重症化していく仕組みです。

私は強迫行為を我慢するとき「やればやるほど苦しくなるのだから、やめよう」と自分に言い聞かせています。

強迫性障害を治したいという動機づけを強くする

じゃあ、どうすればやめられるのか?というと、やはり治したいという動機づけを強くするのが重要じゃないでしょうか。

私は、このブログの旧タイトル『強迫性障害を治すまで』でわかるように、治したいという気持ちがすごく強かったです。治して過去の記録にしたかった。

強迫性障害になったことが、悔しかった。自分が情けなかった。

精神病になった人に対しては、病気なんだからその人のせいでなったんじゃないと考えていたのに、いざ自分がなると、自分が悪かったのではないかと自分を責めていました。

実際、私の場合は好んで引きこもり気味に過ごしていたという、生活態度にも問題があったので。怠けた罰だと思いました。

自分のせいでなったのだから、自分でがんばって治したい。前のように楽しい時間を過ごしたい。綺麗や汚いにとらわれていたくない。強迫性障害であり続けるのが辛い!

そういう気持ちが動機になりました。強迫性障害になる前の人生を取り戻したかったのです。

強迫性障害が辛くて行きづまったときに治そうと思えた

治療しようと思えたきっかけは、悪化時に以下のような状態になったことが大きいです。

  • 強迫性障害でがんじがらめになり日常生活が不便になった
  • できないことが増えて辛い思いをした
  • 鬱状態になり体重が減って体も不健康になった

最初は必要だと思ってしていた強迫行為が、雪玉が坂道を転げ落ちるように増えていき、気がついたときには一日中強迫行為に追われていました。

人生が強迫性障害にのっとられてしまった。このままでは生きている意味がない。そんな風に考え始めました。

考えて考えて、このまま残りの人生を強迫性障害だけで過ごすくらいなら、どうなってもいいという心境になりました。

どんなに辛くても苦しくても強迫行為をやめて、強迫性障害を治す決意をしたのです。

ただ、やはり最初から真っすぐに治療に向かえたわけではありません。

治したいと思いながらも、立ち上がれずに苦しんでもがいていた時間も長かったですし、いまでもまだ、もがいています。

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