強迫性障害を治すための考え方

強迫性障害(不潔恐怖症)を治すために、まず自分の気持ちを整理しました。

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強迫性障害は強迫行為を望んでいる?望んでいない?

「強迫性障害は、自分でもつまらないことだとわかっていても強迫行為をしてしまう」病気だと言われています。

たしかに私も、強迫観念にさらされていないときは「ここまで手洗いや洗浄をする必要はない」「みんなは気にしていない」と理解しています。

その一方で、「本当に汚い」「みんなは気がついていないだけで私は気づいてしまった」「みんなは気にしていないだけで私は気になる」という気持ちもありました。つまり、世の中の全ては汚いものだらけだという自分の意識は、正しいという考えです。

洗浄行為についても、汚いと思うから、綺麗にしたいと望んでいるからしているのです。手を洗っている間は安心するし、ほっとします。

強迫行為はやめたい

しかし、十分だと思う手洗いや洗浄行為をしていると、疲れるし、時間を取られすぎて日常生活が不便になります。

「以前はこんなことをしていなかった」「みんなはこんなことをしていない」「本当はここまでする必要はない」という気持ちもあります。

なによりも、何をするにもいちいち「汚い・汚くない」「洗う・洗わない」を考えているので、頭がおかしくなりそうでした。いや、もうなっているのかもしれませんが。

「汚くない」と思わずに「汚くても大丈夫」だと考える

結局のところ、世の中のものはすべて多かれ少なかれ汚れているのです。そして、その中でみんな暮らしているのです。

みんなが「汚くない」というのは、「(このくらいなら何も不都合は起こらず大丈夫だから)汚くない」という意味。そう考えることにしました。

汚いか・綺麗かではなく、普通はどうするかを基準にする

自分の汚い・綺麗の基準が壊れていることはわかるので、普通はどうするかを基準にすることにしました。

普通といっても、すべての人の平均データを持っているわけではないので、確かなものはありません。

基本は病前の自分を信頼することにしました。私の親は私や兄弟をきちんと育ててくれましたし、いままでの価値観で何の問題もなかったのですから。

インターネットでも色々と調べました。Q&Aサイトなども参考になりましたが、「こんなときにどの程度洗いますか?」という類の質問に答える人は、綺麗好き気味な人が多いように感じました。

Q&Aサイトという時点で、回答している人は専業主婦などの時間がある人が多いでしょうし、洗浄行為に関する質問に答えているという点で、もともと清潔さに感心が高いのではないでしょうか。

平均より汚くしている人は答えづらさもありますよね。なので、「Q&Aサイトの回答は綺麗好き寄り」だと考えています。

今後の手洗いや洗浄行為をどうするのかを決める

強迫性障害を治すにあたり、治ったあとの手洗いや洗浄行為をどうするのか決めました。

上に書いたことと矛盾するようですが、強迫性障害になってから色々と調べたことで、病前の私は気にしなさすぎな面もあったと感じたからです。こう思うのは、まだ治っていないからなのかもしれませんが。

  1. トイレ後・外出後・調理前は石鹸で手洗いをする
  2. お風呂で腰から膝までを丁寧に洗う
  3. 鼻をかんだあとは水で手洗いをする

この3つは残そうと決めました。

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