先週、道を歩いていたときのこと。靴の裏で何かを蹴飛ばしたような感覚がありました。
犬のフンを蹴飛ばしたかもしれない
地面を見てみると乾いた犬のフンのようなものがあり、その上に大きい花のようなものが半分くらいかぶさっています。
蹴ったのは花だけ?それとも犬のフンごと蹴った?
恋人と一緒だったので「犬のフンを蹴ってしまったかもしれない」と訴えました。
彼は「犬のフンは落ちてるものなんだよ」と何の慰めにもならないことを言い、「ほら、行くよ」と促しました。
そうだ、考えても仕方がない。靴底を確認しましたが、汚れはついていません。その場は花だけを蹴ったんだと自分に言い聞かせました。
しばらくしてからまたその道を通りました。
いてもたってもいられず、また見てしまいました。さっきより花のようなものがずれていて、その下にあるのはまず間違いなく犬のフンでした。
靴底が犬のフンに触れたかは永遠にわかりません。が、触れた可能性はあるでしょう。
目に見えて汚れていなければ対応しない
靴に汚れはついているように見えませんでした。さて、どうするか。考えて考えて…。
靴は捨てない。そう決めました。
そもそも犬のフンはあらゆる地面に落ちていた可能性があります。
何もない地面だって、過去に犬のフンが落ちていたことがあり、乾いて気がつかないだけかもしれません。
なんなら土の部分には、乾いていない犬のフンも混じっているかもしれません。少なくともおしっこは、しているのは見かけるので混じっているでしょう。
だからこそ私はあらゆる地面を恐れているのです。
もしも犬のフンがべったりと靴についたら、今の私は洗えずに捨てるしかないのですけれどね。
今回は蹴ったかもしれないけれど靴についてはいないので、何もしないことにしました。
玄関に入るときに思い出さなかった
それでも、家の玄関にはいるときは悩むだろうなと思っていました。
その日は恋人の家に行きました。彼の家の玄関を汚してしまったかもしれない、申し訳ないと思いました。
まあ、彼は私が犬のフンにひっかかっているときもなんでもない顔をしていたので、私もなにも言いませんでした。
強迫性障害の悪化時だったら「汚れた靴のままで玄関に入ってもいい?」と確認して巻き込んでいたことでしょう。少し前から、こういう質問による巻き込みもぐっと我慢しています。
夜になって自分の家に帰りました。
自分の家にはさすがにスムーズに入れないかも?玄関の外で靴を脱いで靴をビニールに入れて…もしかしたらまた強迫がよみがえって捨ててしまうかも?
昼間はそんなことまで考えていたのに、犬のフンのことを思い出したのは家に入って部屋着に着替えてからでしたね(笑)
つまり、玄関にはいるときには綺麗さっぱり忘れていたのです。
思い出してから、「ああ、犬のフン…。でも何かしようとは思っていなかったし。心の準備…いやもう終わった?」という感情が駆け巡りました。
なんだか終わってみると、この日のできごとは単に「道で犬のフンを蹴った<完>」ということになるんでしょうか。
心の葛藤もしないようになりたいです。