強迫観念を置き去りにできるようになった

強迫観念を、だいぶ置き去りにできるようになりました。

置き去りというのは…。強迫観念がわいても、相手にしないで前に進めるということです。

強迫行為をあまりしなくなったので、強迫観念をこねくりまわす必要が減り、小さくなったのだと思います。

強迫性障害のときに強迫観念がわく感覚

私は何か気になったとき、不安な気持ちがぶわっと浮かびます。

強迫性障害の悪化時は、不安をすばやく捕まえて、何がどうしてどうなった?と状況をはっきり確認していました。

  • 洗ったけれど洗えていない気がする
  • 洗う手順を飛ばした気がする
  • 汚いものに触れた気がする

記憶の動画を巻き戻すようにして、慎重に過去を思い返すのです。

まあ、悪化時は記憶があやふやになるのが早すぎて、思い返すのも、ぜんっぜんうまくいかなかったですけれど。

現場検証したうえで、どの程度の強迫行為をするか・しないかを決めていました。

不安が強迫観念になる前に行動している

いまは、不安がこみあげてくるのは感じますが、具体的な言葉になって形づくる前に離れられることが増えました。

もやもやとしたものが出てきても、次の動作に移っています。

進んだあとで、思考が追いついてくるときもあります。

  • 何かひっかかったけれど、強迫観念だろう
  • 強迫行為はしないんだから、どうでもいい
  • もうスルーしたことだ

そう思います。

強迫観念を無視するより前の段階で終わる

強迫観念がわいてから無視していたころとも違います。

無視というかスルーしようとしていたときは、強迫観念は認識していました。

これがこうなったから不安だなあって。でも、治りたいから強迫行為はやめようと「判断」していました。

いまは、強迫観念が形にならない。ふくらまない?大きくならない!

そうなってきました。

思考は言葉であるという意味

本『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』では、「思考は言葉である」としています。

最初に読んだときは「ええー、思考は思考でしょ?言葉って言われても…そうかな?」と、すぐには納得できなかったものですが。

こうして体験すると、なるほど、言葉にならなければ思考として認識されないんだなと実感できました。

読んだ感想はこちら。
『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』の感想。ACTで悪循環から抜けて価値ある行動をする

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