以下2つの記事の続きです。
トイレ後の手洗いで腕まで洗うのをやめたい
感覚と経験を信じる。強迫行為を汚いと思う程度でやめる
トイレ後の手洗いで、腕を洗うときに「念のため」に長く洗うのをやめました。
初めてやめたときは、念のためのつもりだったのに、意外と頼りにしていたのか、洗えていないのと同じように気持ち悪かったです。その手をタオルで拭くことも、物に触ることにもためらいがありました。
治したい治したい治したい。そのためにはここを超えなければいけないんだ。
ぐっと我慢をして、机に戻り、パソコンのマウスを掴みました。気持ち悪さのあまり、目に涙が浮かびました。
いますぐ手を洗いなおして、汚い手で触ったマウスもキーボードも机も、何もかもを拭きたい。そういう思いが押しよせます。
と同時に、はっとしました。
そういう、手を洗いなおしたり、物をいちいち拭いたりするのをやめたくて、これをやっているんじゃないの?治したいんじゃないの?病前の自分に戻りたくないの?
これは強迫性障害を治すための一歩なのに、何をめそめそと泣いているんだ。これができるようになれば一段階、良くなるんだ。嬉しいことなんだ。泣く必要なんてない、むしろ笑えばいい。
自分一人なのに、必死で作り笑いをしました。我ながら、ひたっているみたいでちょっと恥ずかしいですね(笑) でも、徐々に涙はひっこみ、落ち着きを取り戻せました。
しばらくは気持ち悪さが残りましたが、時間がたつにつれて、だんだんと弱まってきました。
この感覚は、外のものを触れるようにしたときと同じです。
一歩前進!外のものに触れた
「外のものに触れるようになる」をやった。食べ物は大丈夫かも
トイレで腕が汚れないことをチェックするのも続けているので、腕を洗う必要はないという考えにも傾いてきています。腕洗いをしたところで、どうせ気持ち悪さが残るくらいでやめるなら、腕を洗うのをやめても同じじゃないかと思い始めました。
いやいやいや、いっぺんにやらなくてもいいんじゃないの?
そういう尻込みもあり、今日は勇気が出せませんでした。
どうせいつかはやめなければいけません。だったらすぐやってみてもいいんじゃないか。できるかもしれない。
早いうちに挑戦します。